色を楽しんで欲しい
11月6日からスタートするshinoさんのビーズのチョーカー展。
第1話では初お披露目の襟章つきタイプをご紹介、お問い合わせをいただくなどたいへん反響がありました。でもshinoさんのチョーカーのいちばんの魅力はビーズの配色の妙。襟章つきもシンプルなのも「色を楽しんで欲しい」というshinoさんの気持ちは変わりません。
左にご紹介するのはプラハから送られてきたシンプルなチョーカーの写真。今回展示されるもののごくごく一部ですが、すでにこの特集担当、わくわくしてきました。
例えば同じ緑のビーズでも他の色と並べる順番や使うボリュームによってシックになったり、カジュアルに近づいたり、その中間だったり。shinoさんが組み合わせることでビーズが、色が、生き生きしてくるというか、秘められていた魅力が伝わってくるように思えます。ああ早く実物が見たい!
ビーズよりチェコが先
shinoさんが今のようなチョーカーを本格的につくりはじめたのは今からさかのぼること15年ほど前。チェコといえばガラスビーズが有名なので、ビーズを求めてチェコに移り住んだのかと思いきや、実はチェコにひかれて暮らしはじめて数年後、プラハで出会ったアフリカ製のチョーカーが今の原点になっているのだと言います。
10代から20代にかけてはガラスのアート作品やプロダクトの制作、そしてガラス関連の雑誌づくりなどに関わっていたshinoさん。初めてプラハを訪れたのは1990年のことで、それはご自身の仕事や生活が転機に立っていた時期に重なっていました。当時はまだチェコスロバキアの時代でしたが、四季おりおりの暮らしに生活の知恵が息づいているようすや、美しさの価値観が人それぞれでそれを認め合っていること、路面電車でひとまわりする中に街の機能が収まっているコンパクトさ、家庭料理のおいしさ、そしてなにより出会った人々に助けられ、生活の拠点をプラハに移すことにしたと言います。
チョーカー誕生秘話ダイジェスト版
「当初は、チェコでは働かず日本で仕事をして得たお金で暮らそうと思っていたのですが、しだいにガラスや陶芸の仕事も再開しました。まだ共産主義の色濃かったチェコでは働いていないと周囲が『どうするんだ』って気にかけてくれるというか、許してもらえないというか(笑)。そのうちチェコ人のボーイフレンドもできて、ある日彼の知人が経営するアフリカンショップでビーズのチョーカーに出会ったんです」。
彼はとても器用な人で、それをヒントにチョーカーをつくってshinoさんにプレゼントしてくれたのだそう。
「すごくかっこよくて。で、私もいっしょにつくりたーい、とつくりはじめたんです。それをして出かけると周囲の人に好評で『私にもつくって欲しい』とリクエストされる。少しずつオーダーを受けるようになりました」。当時つくっていたのは、パテでビーズの間を埋めたり、わざと古びをかけた、いかにもエスニックな仕上がり。
「チェコの家庭にはだいたいどこの家にも昔のビーズがタンスの隈に眠っているんです。役立つならあげる、と知り合いが譲ってくれたのを使わせてもらって」。
チョーカーの輪は少しずつ日本のものづくりの仲間にも広がりましたが、やむを得ない事情で一時中断。その後再開をきっかけに、アフリカンテイストからshinoさん本来のポップで、ふつうにつけやすいものに変化。2000年代に入ると日本でも展示会が開かれるようになりました。今から7年ほど前、『アルネ』の編集をてがけていた大橋がshinoさんのチョーカーを知ったのも、そうした流れの中でのことです。
もともとは色が苦手
shinoさんのチョーカーは芯になるコードにビーズを巻き付けてつくられますが、1本のチョーカーに巻き付けるビーズの長さはおよそ3メートル!まずは完成型を思い浮かべ、それにあわせてビーズの順番やボリュームを決めて手を動かしていきます。設計図のようなものは書かず、プランはすべてshinoさんの頭の中にしかないとのこと。そしていくつかの定番以外ひとつも同じものはつくっていないとも。すごい!
「色の組み合わせに限界はないから」と話すshinoさんですが、もともとは色が苦手。
「学校の提出課題でも“補色”とか“光をとらえる”とか、うまくできなくて色に対してとても“コンサバ”でした。だから今こんな風に色を使っていることに自分でも驚いているんです」。
注目色は白と黄色
それが変わるきっかけはヨーロッパでの色との出会いだったそう。
「生活のすべてで日本とは色がまったく違っていて、でも、『あ、そうか』とすっと思えたんですね。それから俄然興味がわいて」。いったん垣根をはずしてみたらそこにはどかーんと楽しい世界が続いていたと言います。
「それでも最初の頃はやはり好きな色ばかり選んでいましたね。使うのはマットな色ばかりで透明色は毛嫌いしていた。でも透明なビーズをちょっと入れると屋外で光や色を吸収、反射してとてもきれいなことに気がついて、以来抵抗がなくなりました」。
それまで経験のない色合わせがある日素敵にみえるのは、つくる側にもつける側にも新鮮でうれしい出会いです。新しい色あいのビーズを見ると嬉しくて使いたくなったり、街中でいいなと思う服をみかけるとそのイメージでつくってみようと思ったり。そんなshinoさんの変化は長年のファンには楽しみのひとつです。
「これまでは展示会の開催が秋だからと白はあまりつくってきませんでした。それが今年は冬の白もいいかもに変わりまして(笑)、白いチョーカーが多いんです。それと黄色のビーズががぜん使いたい気分でいろいろつくりました。見ていただけるとうれしいです」。
パーマネントコレクションに!
shinoさんはビーズを始めとする材料集めからデザイン、制作、展示会の企画・準備、商品管理、さらにはチョーカーの運搬まですべてをほぼ1人でこなしていています。展示会は日本で年2回のペース、それにあわせて帰国する以外はプラハで暮らし、制作を続ける日々。
「ずっとアトリエでビーズに向かっていると、これでほんとうに喜んでもらえるのかと不安になってくることもあるんです。だから展示会でお客様がチョーカーをつけてくださるのを見たり、感想を伺えるのは楽しみだし次へつながります」とshinoさん。今回のイオショップ&ギャラリーでの展示会にもほぼ毎日在廊なさる予定です。
昨年の秋、shinoさんのビーズチョーカーはプラハ国立美術工芸博物館の装飾品部門のパーマネントコレクションに選ばれました。
「チェコの恩師や知人たちが推薦してくれたこともうれしかったけれど、美術品としてではなく装飾品部門で選んでいただけてよかったと思いました。私がつくりたいのは特別なものではなく、暮らしの中で使って楽しんでもらうアクセサリー。それはずっと変わらないので」。