今日のわたし
なにがなくてもおいしいご飯

 仕事からもどるのが、7時半ごろです。夕食をつくって食べるのは8時過ぎです。たいがいご飯は朝、弁当をつくる時に炊きますので、保温のご飯を夕食に食べています。帰ってから米を研いで炊くと、夕食の時間はもっと遅くなってしまうから。
 おかずは一品、朝のうちにつくっておくことにしています。例えば切り干しとおあげの炊いたのなんか。それで焼き魚、きゅうりとしらす干しの酢のもの、ほうれん草の胡麻あえ、味噌汁、といったような定番和食。だから時間はそんなにかかりません。
 いつも帰りの車の中で、おかず作りをイメージシミュレーションして心の準備を整えて、帰宅します。だから30分ぐらいで支度ができるのだと思う。
 その日は炊飯器にご飯が一杯分しか残っていませんでした。そのことを頭に入れてメニューを考えていました。ぶりかまの塩焼き、アスパラガスの胡麻あえ、残り物のさつま揚げと白滝の炊いたの、それに前日のさといもと厚揚げの炊いたのがいまいちだったので、味噌汁にしてそれにおもちを入れて雑煮にしようと決め(これがご飯の代わりと考え)、帰宅したら、早くに帰っていた夫がパニクっているのでした。ご飯がない、ご飯が足りないって。
 もともと彼はつくる人ではなくて食べる人で、皿洗い係りの人。夕食はただただ私の帰り待ちなのです。その日はすこし私の帰りが遅かったから、炊飯器をのぞいたのです。それでご飯が一杯分しかなかったので、これでは夕食にありつけないと思ったようなのでした。
 大丈夫よといくらいっても、足りない、ご飯が足りないというので、私も不安になっておかず一品(キャベツのたまご炒め)をプラスしたら、食べきれなくなって、どれもこれもつっついて残してしまったのでした。
 あらためてご飯は主食なんだなあと思いました。あれがないと和食はおさまらない。ご飯を満足に食べられなかった子供時代を過ごした私たちは、ご飯への思い入れが若い人より強いのかもしれないとも思うのです。これからは足りるようにしておかなくっちゃ。
 最近ご飯を本当においしいと思います。もちろんスパゲッティもパンも食べますが、ご飯がおいしいとパーフェクトな満足感なのです。食欲の気持ちの隅々にじわーっと浸透するのです。
 この前、福島の人にもらったお米はとても味わい深かったのでした。同じお米なのにいつもとぜんぜん味が違いました。あれはなんでなのでしょう。毎日食べるものだから、主食なのだからおいしいものを食べたいとは思いますが、そういうのは簡単に手に入りません。いただいたのが底をつくと近場で買ってきます。でもそれしかなければそれなりの日常になるのです。
 エルメスのバッグを人に借りて数日楽しんで、返した後にいつもの自分のバッグを持つと、ちょっとがっかりする(だろうと思う)。でも数日するとちゃんとあきらめられている(だろうと思う)。それと感じ似てるんじゃない? ん? お米とバッグは違う? そうね、エルメスよりおいしいお米のほうがずーっと体が喜ぶもの(私エルメスに関心ないの)。

ページトップ
第11話
第13話