私、老後の生活費の予定がゼロです。だって働いていたら、生活費は大丈夫と思っていたのですもの。ところがどんなに働きたくったって、仕事をもらえなかったら生活費を得ることができません。どうも年とったら仕事はこないらしいことがこのところわかりました。アララ。
私、実は国民年金に入っていません。若いころ入っていたのですが、なにかの時にこぼしてしまいました。何度かチャンスはあったのですが、面倒で手続きを怠りました。そのまんまなのです。
友達が65歳になったら年金をもらえるのよ、楽しみなのといいました。それで急に年金って入っておいたほうがよかったんだと思ったのです。65歳なんて、45歳ぐらいのころには、ずいぶん先のような気がしましたが、あと数年でなっちゃうのです。はやいなあ年をとるのは。友達はそれがあれば映画も行けるし、たまーに旅行にも行けるし、とにかく安心というのです。
その友達は親から受け継いだ財産管理という仕事があって、年金なんかなくったって、ゆうゆう楽々老後がおくれるはずなのに、年金が楽しみというのです。私あせってしまいました。
私の母は85歳です(1999年某月某日)。肘を痛めただけで体が衰弱して、もうだめかと思うことがあったり、ころんで足を痛めたら気力が弱ってこのまんま死んでしまうかもと思ったりしたのでしたが、元気に回復しました。見かけはやせているのでいかにもおばあさんですが、趣味の踊りに燃えて頑張っています。母にはたくわえが少々あり、私から渡す生活費と年金があり、経済的には心配がありません。ゆうゆうです。
母のたくわえ(といっても倹約すれば死ぬまで食べていける程度)は、ためこんだものと、昔商売をしていた地方の土地を売ったものとで、ある日娘の私が死んだとしても生活費に困ることはないのです。このことは年寄りには大事なこと。安心なことです。
老後にお金がないといちばんみじめよねえ、なんて母にいってたこの私が、えらいことだこのまんまじゃ。パッパッと使わないでぜいたくしないで、少しでもためなきゃといったでしょ、って母にいわれるたび、またこんな着物買ったの! 高かったでしょ、と眉をしかめられるたびに働いているからいいのよ、なあんて強気だったあのころのことを、それみたことかといわれるに違いない。
母がアリさんで私はキリギリスさんです。あのイソップのお話知っています? 夏中どんな陽の強い日もアリさんはしこしこ働きづめでした。そのアリさんを横目にキリギリスさんは歌ばっかり歌っていました。秋になり木の葉も散って、やがて寒い寒い冬が来ました。アリさんはたっぷり蓄えのある土の中のお家で暖かくして暮らしていました。キリギリスさんは食べるものもなく寝る家もなく、たいそう困っていましたので、ある日思いあまってアリさんに助けて欲しいと訪ねました。
……それからあの話どうなりましたっけ? 寒い外に放り出すのでしたっけ?
普通にいえば歌ばっかり歌って働かなかったキリギリスさんは、寒さと飢えで死んで当然です。だからキリギリスさんがトントンとノックしても知らん顔しているか、物乞いするキリギリスさんの目の前でピシャッとドアを閉めて、自分だけ暖かい部屋でおいしいご飯を楽しんでも、アリさんは非難されません。この童話はこのように終わるのが正しいと思います。そんなおしまいだったかなあ。
私のことですが、幸いなことに真冬はちょいと先です。アリさんの生き方をフンといって笑っていた真夏から、だいぶ日はたちましたが、とにかくこのまんまでは困ることになると気づいたのです(このことを夫にいいましたらおれの年金、おれが死んだら何割かおまえにいくはずだよ、よくわかんないけど。といいました)。ま、今からだってなんとかなるでしょ。私のんきなのです。ずーっとこんなふう。
知り合いに60歳定年退職をした人がいます。その人はゆうゆうと暮らしています。退職年齢は会社によって違うでしょうし、退職金も会社によって違うんですね。当然会社勤めの人は退職後の生活をちゃんと計算しているんでしょう。でもこのご時世、たとえば80歳まで生きるとして20年間暮らしていくのに十分な退職金と年金なのでしょうかねえ? そこのところ私にはわからない。ただけっこう大変な生活の気がする。
ああ、人の心配してる場合じゃないのでした。でもさ、なるようになるよ。