新 暮らしの絵日記

○月□日 お金持ち

 息子の学校の同級生のお母さんとは、なかなか仲良くなれなかった。仕事をしているお母さんはクラスで2人か3人だったから、働いている側は大勢の専業主婦に混ざれないと思っていたところもあったと思う。
 働いているお母さんの一人で、すてきな洋服を作る仕事をしている人がいた。その人はイタリアモダンの家具が大好きで、家具を買うには家を複数持たないと実現できないと、セカンドハウスを持っていた。彼女ほどではないけれど、やっぱり家具好きの私は彼女と親しくなった。彼女の買う家具は趣味もいいけどお値段もよかったりした。そしてコンテンポラリーアートのコレクターだった。それは私には到底現実ではなかった。でも興味はあったから息子のお母さんの中では一番仲良しだった。あれからもう30年近く経つ。彼女はいいお家を建て、山のセカンドハウスを今度は海の方に移したいというような話をしていた。年齢に合った住まいは彼女のようなお金持ちならたやすくできる。私なんか精一杯できる範囲の楽しみ方をしているというだけ。京都のマンションに入れる家具は、もう本当によくよく考えて買っている。ユーズドファニチャーを入れていると彼女にいったら、きっとびっくりするに違いない。今朝はソーイングテーブルを運んでもらった。

○月△日 朝からあんこ

 この前友人たちと都立大学の和菓子屋に10時に待ち合わせをした。どうしても12時に銀座に行かなくてはならない人がいて、その人が翌日プラハに帰るから、その前にあんこものを食べたいということでの待ち合わせだった。4人とも(本当いうと私はその計画を聞いて参加した金魚のふんだった)あんこものは大好きで、都立大学の和菓子屋は東京では特別においしい和菓子屋だから、朝10時であろうと食べるぞといううれしい気持ちだった。で、プラハに帰る人は「あんこ入り寒天とぜんざい」、Bさんは「ぜんざいと八雲もち」、Cさんと私は「あんこ入り寒天と八雲もち」。わいわいおいしい和菓子の話をしながら(なぜかおいしいものを食べているのに、よそのおいしいものの話で盛り上がる)、せっせと口に運んでいると、生菓子が4個、店主の方からということでテーブルに。4種類だったので4等分してそれぞれをご馳走になった。幸せな朝のひとときだった。

○月△日  ダルマー

 去年12月14日に愛犬、黒ラブのダルマーは17歳と16日で死にました。私たち家族の17歳まではがんばって! の願いをかなえてくれて亡くなりました。寝たきりになって体もぺしゃんこになって、あちこちにおできもできて、それでもがんばって生きていてくれました。富浦のお父さんのアトリエで朝、お父さんがダルマーに点滴をうった後に死にました。ちゃんとお父さんにさよならを伝えることができたと思います。死ぬ20分前に世田谷にいる私に「もう駄目かもしれない」とお父さんが電話してきたのは、きっと私にもさよならをいってくれたんじゃないかと思います。
 あれからもう2か月以上経ちます。まだよその黒ラブをやさしい目で見ることができません。なるべくなら見たくない。気持ちに余裕がないんでしょうね。お父さんはダルマーのベッドを解体し、私は世田谷に残っていたタオルやおむつや、えさやおもちゃを捨てました。ダルマーのために敷いたカーペットはそのままです。




「住む。」No.45(2013年5月 株式会社泰文館発行)
P12-13《新 暮らしの絵日記 第22回 大橋歩》より抜粋

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