突然病気になった。といっても入院とか自宅で安静とかそういうんじゃないけど、一応薬を4か月は飲み続けなければならない正式の病気になった。私はお産しか入院をしたことはないし、10年ぐらい前から人間ドックを受けているけど問題なく、病気というものから遠い老人だった。だから常時薬も飲んでいなかった。まあ薬嫌いなのでサプリメントさえ、どんなに勧められても断っていた。で、今回の1日11粒と2袋の薬を4か月間飲む事態は、生まれて初めてのことで、気持ちも多分からだも異常体験となる。ただ病気を治すためには受け入れるしかないわけで、副作用の説明が医師からあった時も、いやだなあ、ぐらいだった。実際薬を手にした時、これで病気が治るという切符を手渡されたようなほっとした気持ちにさえなった。4か月の服用だから病気といっても軽いような気もする。病気の老人のみなさんの中には一生薬を飲み続けなければならない人も多いと思う。夫だってそうだもの。だから入院もせず4か月の服用だけで大丈夫な病気は軽病。大丈夫、大丈夫。自分にいい聞かせ、朝食前の9粒の薬を今飲み終えたところ。
なかなかねえ、映画を観に行くことはしなくなったのねえ。私ばかりじゃなくて多くの人が、映画館で映画を観るというのを楽しみにしなくなったのねえ。でも雑誌にはシネマニュースが新刊本ニュースなどと一緒に毎号載っているから、新しい映画情報を知ることができ、観たい映画はどこで観られるか調べたりはしていた。で、映画って映画館で観始めると立て続けに観たい気持ちになる。あれ不思議です。
久しぶりのことだったけど、春には「愛、アムール」「偽らざる者」を続けて観た。この前は「ハーブ&ドロシー」の「アートの森の小さな巨人」と「ふたりからの贈り物」を5時からと7時からと続けて観た。最初の方は2008年のもので、郵便局員のハーブさんと奥さんである図書館司書のドロシーさんが1960年代ぐらいから、奥さんドロシーさんの給料だけで生活をし、夫ハーブさんの給料で買い集め始めたコンテンポラリーのアートのお話。ちょうど私の世代だとハーブさんの集めた作品の作家はとても身近に思えた。1966年に初めてニューヨークに行って、滞在4か月の間ニューヨークタイムズの日曜版で調べて、あっちこっちのギャラリー巡りをしたので、なつかしさで途中で涙が出たほど。その後も何度もニューヨークに行って、ミュージアムやギャラリー巡りを繰り返した自分史と(オーバーだけど)やっぱり重ねて見てしまった。よかった。映画館で観る映画はDVDを家で観るのとは感動も違うような気が私はする。
今私は服をつくって会社を運営している。社員は私を含めて7人、それから正社員じゃない人が2人。みんなにお給料を出して事務所やショップの家賃も滞りなく支払うことができている。時々ほんとにやっているんだなあ、夢みたいだなあと思うことがある。なにしろイラストレーターだった頃はアシスタント1人でもお金の余裕がなくて不安だった。イラストレーターとして時代に合った売れっ子にならないと、けっこう余裕はないもの。まあイラストレーターも時代性が求められるタレントだからね。だから62歳になってイラストレーター休業。それで『アルネ』を7年半出して30号でやめて、今は服の仕事を始めている。気がついたら支払いのやりくりを考えなくてよくなっていた。夢みたいなこと。かつてのことを思い出すと、ほんとに狐につままれているみたいな今。でもこの夢は糸井重里さんの『ほぼ日』でたくさん服を売っていただけているからが大きい。ありがたいと思う。「ワッハッハ! ありがたーい!」
「住む。」No.46(2013年8月 株式会社泰文館発行)
P12-13《新 暮らしの絵日記 第22回 大橋歩》より抜粋