「さよなら」と帰っていった友人は、バッグを置き忘れていました。あわててそのバッグを持って追いかけましたが、バッグの手ざわりのよさにハッとしました。たしかな高級品。あらためて友人がお金持ちであることを思い出しました。高級なバッグは素材もいいしつくりもいいのです。お金持ちじゃない私ですが、ひとつぐらい欲しいものだと思ったのでした。
'70年代、『anan』が創刊された頃、パリに行き来していたおしゃれな人達は、小紋柄の某ブランドバッグを持っていました。私も欲しくて、手をつくして手に入れて持ちました。今のようにたくさんの人が持つようになったのは、'85年ぐらいからと思います。そうなったら私のまわりの人は持たなくなり、私も物置きに放りっぱなし。
その後、林真理子さんもお持ちのHのケリーバッグを持つ人が私のまわりにも多くなりました。Hのものはお値段がぐんとよろしい。私には手が出ませんでした。やがて高級ブランドものが大流行となります。にせもの本物入りみだれる時代になります。そうなったら私は持ちたくなりません。それでナイロン地のショルダーやサックのバッグ(イタリアのPのではありません)で通してきました。
それが友人のバッグをさわって以来、年だしねぇ、そろそろ質のよい高級なバッグを持つのもいいんじゃないかと考えるようになったのです。
ある女性誌に、ある海外のブランドのバッグの広告が出ていて、久しぶりに気に入りました。着物に持つとよいような形でした。すぐ行動開始。電話で問い合わせ、近くのデパートの中の売り場に取りよせてもらって、翌日に手にしましたの。実際は手ざわりも雰囲気も高級感から遠かったけど、値段も安かった。私の場合はこのバッグ程度なんだと、鏡の前で納得してるのです。