特集 「entoan」の櫻井さんとつくった革のバッグ
第2話 「entoan」のこと
  • 「entoan」のあるショッピングセンター。工房の場所を探していたら運良く地元にいいところが見つかったと櫻井さん。小さい頃よく来ていた駄菓子屋さんは健在。
  • 黒板の下のほうに描かれているのはトレードマークの「とりかご鳥」。かごは時間をはじめとするいろんな制約を象徴。それを背負って飛ぶ、という意味だそう。
ガラス戸を開けるとショップコーナーが。奥に靴づくりの機械がならぶ工房。埼玉県越谷市赤山町4-7-46 tel048-992-9500 ショップは第2・第4日曜日限定でオープン。http://www.entoan.com
学生時代にイベントで作った靴(左)と好きなものを集めたスクラップ(右)。「靴を作る技術だけでなく、テーマをつきつめることの大事さを教わったり、自分の不器用さを認識したり。貴重な学生生活でした」。
卒業制作の「きのみ」。枝にぶら下がっている「きのみ」を割ると靴があらわれて…。「はっ、とびっくりするとき、時間が止まる気がして。そんな瞬間を靴にしたかったんです」。時間は櫻井さんの大きなテーマのようです。
続けていくなら好きなこと
 「entoan(エントアン)」の工房があるのは埼玉県越谷市の住宅街のショッピングセンターの一郭。ここは櫻井さんと、いっしょに仕事をしている富澤さんが育った地元の町です。もとは写真館だった店舗を自力+低予算でつくりかえ、作業台やミシンなどの機械を使いやすいように配置。ここで朝から晩まで作業をしています。
 「靴もバッグも、たたく仕事がけっこう多いんです。隣に住んでいる人がいるのでそれは夜8時までと決めて、8時以降は裁断とか音のでない作業にしています」。
 櫻井さんは最初から靴職人をめざしたわけではありません。大学入試のときは「普通の会社に就職して定年まで働くんだろうな」と漠然と思い、会計を専攻したそう。でも、大学3年の就職シーズンを迎えて周囲がざわつきはじめ、自分のなかに焦りが生まれるなかで、ことばではできないものづくりをしたい、ずっと続けていくなら好きなことを仕事にしようと考え、小さい頃から格別に靴が好きだったことに思いいたったと言います。
 大学を卒業後に選んで入ったのが「エスペランサ靴学院」。以来櫻井さんは靴職人への道を歩み始めます。ひとつずつ考えて選択をし、実地をつみ重ねながら。
 まずは学院で2年間みっちり靴づくりの基本を学び、卒業後は、在学時からアルバイトをしていた靴の修理の会社に就職。
 「靴は完成までの工程が多くて複雑なので、今はそれぞれの工程が分業化されているんです。それよりは修理の仕事のほうが全体が見られるかな、と思いました」と櫻井さん。人がはいて傷んで持ち込む靴をひたすら修理する忙しい毎日でしたが、しばらくした頃に仲間と展示会をしようという話になり、自分のブランドを立ち上げることが現実化してきます。そのとき目にはいったのが、台東区の支援事業でした。
 「ものづくりをする人たちや地場産業を支援するために、区が使わなくなった旧産業研修センターを開放してスペースを貸す『浅草ものづくり工房』という事業を始めたんです。応募し書類審査と面接をクリアして無事に入居することができました。3年間の期限付きなんですが、そのあいだに土台をつくって次に進めるように、ということなんです」。
 それをきっかけに櫻井さんは修理の会社を辞めて工房で本格的に靴づくりを始め、展示会にのぞみます。大橋が見たのはその時の記事。話は第1話の財布のくだりにつながります。3年のあいだに櫻井さんはスリッポンやレースアップシューズなど自分の定番となる靴の手応えを得、展示会や注文をひとつずつこなし、『ものづくり工房』を出て地元の越谷に新しい工房を持つに至ります。
右が革を漉く機械。左が縫製用のミシン。ともに中古で購入、使いやすいようにメンテナンスして使っています。
  • 「entoan」の人気定番のスリッポン。手前は新品、上は2年ほど富澤さんが毎日のようにはいているもの。どんな服にもすっとなじむトゥのまるみ、アシンメトリーな足の入れ口のカットラインが特徴。内側にさりげなく手縫いのステッチがついています。a.のトートと同じイタリアのタンニンなめしの革を使用。はいていくうちに色に深みが出て、しわもいい感じに。シンプルを追求しつつ、カットラインなどは少しずつ変化しているそう。
  • こちらはもうひとつの定番のブーツ。ベーシックな形ですが、コバをコーティングして縁にまるみをもたせたり、紐や縫い糸を染めたりと、仕上げの段階で加工しています。洗いをかけて風合いのある仕上げにした靴もあります。
  • この日はスリッポンの甲と側面をつくっていました。赤、黒、茶、ヌメなど5色のパーツがカットしてあります。
  • スリッポンの甲の部分と側面をミシンで縫い合わせているところです。トントントントントトトト、と気持ちのいい音がしました。
  • 制作に使うハンマーと革用の目打ちです。ハンマーには「櫻井義浩」と名前が。入学当初に配られたもの、道具は使い続けるうちになじんで使いやすくなるそう。
  • スリッポンの側面に手縫いのステッチを入れる前に、目打ちで針を通す穴をあけていきます。革はかたいので直に針を通すことはできません。
  • ステッチにはロウ引きの麻糸を使用。よーく見ると針を2本左右から交互にさしています。
  • 櫻井さんが企画した「GETABAKO」は、引き出しをあけるとこんなテーブルが出てきます。靴を並べて磨いたり干したり。下には靴クリームやブラシなどを収納。靴のケアも楽しく行えます。
  • 下駄もすっぽり収納されています。「大橋さんは『ここまでするのは現実的にはむつかしいんじゃない』と辛口のコメントでした。でもそういうふうに言ってくれるのもありがたいというか、またひとつ考えるきっかけになります」と櫻井さん。
つくったものに責任を持つ
 現在櫻井さんは靴をつくるほほすべての工程を富澤さんとふたりでこなしています。
 「手づくりに強いこだわりがあるわけではないんです。ただ、ものづくりをしていて大事なのはつくったものに責任をもつこと。そのひとつの答えが今は自分でつくることかなと思って」。そのため生産量に限界があり、現在は展示会での受注生産がメイン。その展示会も新しいコレクションを意識したり、トレンドを打ち出したものではありません。その理由は櫻井さんが靴を生活の道具のひとつだと思っているから。はきやすくて、ながもちして、メンテナンスしやすいことが大前提です。
 「そのためにも基本はシンプルなつくりで、いい革を使いたい。がちがちにつくりこむのではなく、はく人のところで育って行くような、そんな靴をつくり続けていきたいと思っています」。
 今、櫻井さんは伊勢丹新宿店メンズ館で「靴との時間」というGETABAKOと靴の展示を開催中です。これははいていない時間もふくめて靴の提案をすることで靴に愛着をもってもらえたら、という気持ちがかたちになったもの。桐製のげた箱の中には、メンテナンスの収納場所や作業台、さらには下駄まで組み込まれています。「玄関も楽しくしたくて」と櫻井さん。一足ずつ誠実に靴をつくるだけでなく、靴にまつわる時間や空間の提案もしていきたいという願いがひとつ、実現したのです。
工房の中央にある大きな作業台は卒業した「エスペランサ靴学院」で不要になるというのを譲ってもらい、自分たちで引き出しなどをつけて使いやすくしたもの。照明は後藤照明で選んだそう。
  • 質問すると話してくれるけれど、セールスは得意でないタイプの櫻井さん。「それも変えて行かないと。でも、僕、きょうはけっこうよくしゃべりました」。
  • 取材班に用意してくれていた越谷名物のおだんご。粒が大きくてもっちもち。器はご実家から借りてきたそう。ごちそうさまでした!
「entoan」の意味
 そんな櫻井さんにとって、a. のバッグづくりはとても貴重な体験だと言います。
 「靴のブランドは勢いではじまったところがあります。自分で始めて、頼る人も考えるのも決めるのも自分だけ。そんななかでブランドの個性がでていくのだと思うから、それはそれでありなんでしょうけれど、でもどこか自己中というか。一生この仕事をしていくと考えると、自分のつくりたい靴ばかりつくっているとほんとうにやりたいこともできなくなってしまうんじゃないか、まわりにもっと喜んでもらえるブランドにしていくことを真剣に考えていかないと」。ちょうどそんなことを考えることが多くなっていた時期だったそうです。
 「革のバッグについてぼくが提案してもそれは違うんじゃないかといわれることがけっこうありました。それは使ってくれる人のことを第一に考えてものづくりをしているかどうかを問いかけられていたんですね。僕に欠けている部分だったと思います。だから大橋さんの思っていることを僕の中にとりこんでかたちにして、とにかくいいものをつくってやっていこうと、そういう気持ちでいるんです」。
 櫻井さんが静かな声でとつとつと話すのを聞いていて「entoan」という造語にこめたおもいがすとんとわかったような気がしました。「a(あ)とn(ん)」は五十音のはじめとおわり。すべての文字を使っても表現できないものをつくっていこうという思い。一方「en(えん)」は人との縁、そして円。このふたつが「to(と)」でつながっているのです。


特集「entoan」の櫻井さんとつくった革のバッグ。次回はバッグの制作の様子をご紹介します。
 
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