左から単行本「村上ラヂオ」(2001年)、「おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2」(2009年)、「サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3」(2012年)(マガジンハウス刊)。ほぼ一年ずつの連載をまとめています。
3冊の単行本のカバーをはずすとこんな感じになっています。装丁をして下さったのは葛西薫さん。それぞれに版画の雰囲気を生かしたしおりもついています。
「anan」連載時のページは、大事にファイルしてとってあります。週刊誌ですが、村上さんは1ヶ月分のエッセイをまとめて送って下さるので、とてもスムーズに進めることができたそう。
マガジンハウスの雑誌「anan」で村上春樹さんの連載エッセイ「村上ラヂオ」が始まって話題騒然となったのが2000年3月。待望の再連載がスタートしたのは2009年10月。連載は単行本としてまとめられ2001年に「村上ラヂオ」、2009年に「おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2」、そして今年の7月に3冊目の「サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3」が発売になりました。大橋は連載エッセイの挿絵をずっと担当させていただいていました。
挿絵は銅版画でした。
「以前に銅版画の個展を開いたことがあり、それを村上さん関係の方がごらんになって、挿絵のお話が決まったんじゃないかと思います。村上さんが高校生の頃読んでらした『平凡パンチ』の表紙のイラストを私が描いていたので、名前を知っていて下さっていた、そんな流れがあったかもしれません。お話が決まってからは、本当に自由に描かせていただきました」(大橋)。
とはいえ村上さんの大ファンである大橋にとってこれは特別の仕事。緊張の連続で、連載時の気持ちを単行本のあとがきに次のようにしるしています。
「私の場合毎週いい絵が描けているかというとそんなことはありません。あれはよかったけど今週のはうまく描けていないというのも多いのです。でもせっかくこんな特別の仕事をさせてもらっているのだから、明日はいい絵を描きたいという思う事で続けさせてもらっています」(「村上ラヂオ2」)、「(連載中は)一読者として楽しめませんでした。それが終わりが近づくにつれ、なぜか一読者として面白く読ませて頂けるようになったのです」(「村上ラヂオ3」)。
大橋の銅版画の道具です。手前右が、銅版。サイズは縦×横が9.5㎝×9㎝。左は下絵を銅版に写すカーボン紙。版画は絵が逆になるので必要です。先の尖った銀色の長いものが、ニードル。これで銅版を引っ掻くようにして絵を描きます。一番小さな白い柄のついたのは牛乳のふた開け。こういうものも使います。
白井版画工房で版画用の紙に摺っていただいた状態です。雑誌の連載の時はこれが原稿になります。全部で200枚以上。かさねるとかなりの厚みがあります。
「村上ラヂオ」が単行本としてまとまるたびに1冊ごとの展覧会は開かせていただいていましたが、すべてを一堂に、というのは今回が初めて。最初の頃と今の版画の作風の違いなども楽しみながらご覧頂ければと思います。(写真は今年11月、福岡TAGSTAギャラリーのようす)
挿絵の仕事は、村上さんからエッセイが届くとそれをプリントアウトして、何度も読むことから始まります。読みながらラフ絵を描き下絵を選んでカーボンで銅版にうつし、それをニードルなどで引っ掻くようにして絵を描く。ドライポイントという方法です。
摺りは、その道40年というプロの摺り師さんにお願いしました。
「白井さんとおっしゃるんですが、ほんとうに力のある方で私が描いた何倍も面白くしあげてくださるんですね。途中で一度体調を崩された時は、どうしよう、もうできない、と困ってしまったこともありました。幸い戻られて。いつも工房に伺う時は何かお菓子を持って行っていたのですが、それ以降はさしいれも体にいいものを、と選ぶようにしています(笑)」(大橋)。
特別な仕事をする機会に恵まれ、プロの摺り師さんの技で仕上げてもらい、3冊目の単行本が完成した時点で版画の枚数は200枚を越えていました。
「もうこんなことはないだろうと思うと、すべての版画をみなさんに見ていただきたいという気持ちになりました。イラストは絵と違いますから、額縁に入れたり、飾ることに抵抗があります。でも、白井さんがイラストを上回る仕事をしてくれているので、額装しても大丈夫、そう思えました」(大橋)。
特集の第2話は、白井さんの版画工房を訪ね、一枚の版画ができるまでを見させていただいた、そのルポをお届けします!