9月中旬。東京の大橋の事務所に三重県から学芸員の生田さんが来てくださいました。今日は日帰りだそう。進行していたポスター、DMなど印刷物の確認や展示作品についての打ち合わせをしています。生田さんはヨーロッパ美術がご専門ですが、伊勢型紙など日本の型紙にも詳しい。
『大橋歩の想像力 Imagination from / into / beyond / Words』は年明けのオープンを目前に今、急ピッチで準備が進んでいます。第2話では展覧会を企画していただいた三重県立美術館の学芸員、生田ゆきさんにお話をうかがいました。展覧会開催までのバックヤードをご紹介する写真とともにお読み下さい。
高校生の頃から大橋さんの本が好きでした。
—三重県立美術館、生田さんと大橋のつながりはどのようなことから始まったのですか?
「大橋さんが三重県出身の美術家・元永定正(1922〜2011)さんのタペストリーを美術館に寄贈してくださったのがきっかけです。あとから伺ったら『大好きで購入し持っていたタペストリーだけれど自宅には大きすぎ、なにより使うにはもったいないと、ふたりの出身地である三重の県立美術館にご相談して寄贈させていただいた』と。1995年のことで、それは私が学芸員として赴任する前のできことだったのですが、ある日美術館の所蔵品目録を見ていて寄贈者のところに大橋さんの名前を見つけて。私、びっくりして上司に『あの大橋歩さんですか?』と確認したのを今でも覚えています」。
—あの大橋さん?
「はい。ずっと大橋さんの本が好きでしたので」
—そうでしたか。大橋はいろんなところにファンの方がいるんです(笑)。
「ここにも(笑)。初めて出会ったのが『たのしみ作りたい』という本でそれは今でも持っているんです。おそらく近所の本屋さんで買ったのだと思いますが、田舎の高校生だった私にはそこに広がっている世界は憧れで、夏休みの宿題にピローカバーを縫ったほど。それからも図書館で本を借りたり自分でも買ったりを繰り返していました」。
—どんな本を読んでいましたか?
「あらゆるものですね。大橋さんのイラストのついたエッセイをむさぼるように読んでいて、生来面倒くさがりの私は大橋さんの暮しにまつわる数々のことばに叱咤激励されてきました。とてもシンプルですが、じっくり読んでみると、そこには一歩先の深い世界が広がっています。一度だけじゃなくて何度も楽しめる、そのたびに新たな発見があり、そしてその先に大橋さんという個性が浮かび上がってくる。そこが大橋さんの本の魅力です。
もちろん県立美術館として大橋さんのお仕事には以前より注目させていただいていたのですが、私個人としてもこんなふうに自分の仕事と繋がっているとはと、とても驚いたしとても嬉しかったですね。それで『いつか、きっと』と強く思うようになりました」。
—生田さんには2009年、2011年開催の大橋の展覧会もご担当いただいています。
「2006年に東京・銀座で開催された個展(「あゆみの歩」)を拝見して、その作品の力強さに圧倒されて、すぐに展覧会の企画をご提案しました。そしていろいろ相談を重ねて開催させていただくことになりました。企画が進んで大橋さんから多くの作品やファイルをお預かりしたときは興奮しました」。
—原画ですものね。
「ええ。なかには修正液の跡もまだ白い原稿もあって試行錯誤の生々しい息づかいが感じられたり、印刷に際しての細やかな指示書きにはものを作ることに対する厳しさがかいま見られたり。お客様にも美術館でぜひ実物を体験していただきたいと思います」。
イラストレーションと美術館
—イラストレーターの展覧会を美術館で開催するのは珍しいケースではないでしょうか。
「美術とひと口に言っても絵画、彫刻、工芸などさまざまなジャンルがあります。その中でイラストレーションが歩んで来た歴史は他の分野に比べて新しいためまだ美術館の中でどう位置づけていいのか、きちんとした答えが見いだせないままになっているような気がします。“商業美術”という言葉でくくられることが多いということも影響しているかもしれません」。
—“商業美術”ですか?
「ちょっと不思議な言葉ですが、その作品の目的が純粋に表現にあるのではなく、商業活動のためにつくられたもの、と言えばいいでしょうか。そのような経緯で生み出された作品について、美術館側がどうアプローチしたらいいのか、まだ模索の段階にあるように思います」。
—そういった作品は美術館には向かない?
「いえ、そうではないんです。美術館という場所はどこか日常から離れた場所という認識が美術館側にも、美術館に来て下さる方にもあるような気がします。もちろん美術に触れることで日頃の様々なことから離れて気持ちをリセットしたり、新たな発見に刺激を受けることは、とても有意義なことだと思いますし、そうありたいと願っています。その一方で必ずしも美術は日常と切り離されたところで成立するものとも思いません。そのあたりの距離の取り方もまだ美術館の中でうまく整理できていないのではないかと思います」。
—大橋のイラストも多くはクライアントがいて、注文に応じて描いています。
「一般に“商業美術”が生まれる過程では、注文主の意向や想定される顧客の趣味などが反映されるものになると思います。それゆえその時の風俗や流行に影響を受けざるをえないとも言えますが、その傾向が強くなるとひとつの作品としての魅力は後退するように思えます。でも大橋さんの場合、デビュー作の『平凡パンチ』の表紙シリーズを見ていただけるとお分かりかと思いますが、50年近く経た今見ても、その新しさはまったく色あせていません。それはきっと大橋さんの制作態度の本質に関わることだと感じています。『平凡パンチ』『生活の絵本』『ピンクハウス』『アルネ』そして『村上ラヂオ』。どの作品にも共通することとして、時代の気分や流行を察知しながら、決して流されることなく、自分の色を失わない大橋さんが見えてきます。前の展覧会の時にも書かせていただいたのですが、大橋さんの作品の魅力は『つねに厳しく自らの感覚に根ざした選択眼を貫くことで、世代や性別を越え、多くの支持を獲得している』。まさにこの言葉に尽きると思います」。
第1話に引き続き、今回の展覧会で挿絵をご覧いただける予定の本をご紹介します。(上段左から右へ)『村上ラヂオ』(村上春樹著 マガジンハウス2002年)、『らいおんごう がんばれ』(松野正子作 文研出版1978年)、『したきりすずめ』(日本ブリタニカ 1978年)(下段左から右へ)『トマトジュース』(講談社1972年)、『涙はひとりでながすもの』(文化出版局 1986年)、『おしゃれの絵本』(講談社1978年)※変更になる場合もございますが御了承下さい。
もうひとつの顔を紹介したい。
—今回特に挿絵をクローズアップした理由を教えて下さい。
「昨年末頃に、大橋さんから『村上ラヂオ』の1~3の挿絵銅版画すべてを美術館にお預け頂けるというお話がありました。美術館のスペースを生かして全点展示すればおもしろいだろうな、と感じたのがきっかけです。これを中心にして展覧会を構成するならば、挿絵というテーマを設定して大橋さんの絵と言葉の関係を探りたいと考え、大橋さんに提案しました。でも他にもきっかけはあって」
—どんなことですか?
「実は、2009年の展覧会の準備をしているときに知った、大橋さんが大学時代文芸部に所属されていたことがずっと私の頭の中にひっかかっていました。そのとき展示室で作品を並べたときに『鳩を喰う少女』の挿絵や、雑誌『鳩よ!』に掲載されていたイラストにとても強くひかれました。ご自身のホームページやエッセイで,小説やエッセイがお好きでいらっしゃることもわかり、大橋さんの中にある“もうひとつの顔”を紹介したいとずっと思っていたというのも背景としてあるんです」。
—今回の展示の見どころをご紹介下さい。
「広告の仕事などに比べ挿絵に触れる機会は少ないのではないでしょうか。また、今回の展示のために、新たに80枚ほどを額装します。ですからかなりの点数が初公開になります。実際にご覧いただいてのお楽しみですが、子ども向けの絵本のような仕事と、一般向けの雑誌や書籍に描いたものを比べると同じ人が手がけたのかと思うほどに違いがあります。創作年代の違いもあわせて『こんな作品を大橋さんは描いていたのか!』という新たな驚きがあるに違いありません。
—原画とともに印刷された本も展示されるとか?
「できる限りそうしたいと思っています。その一方で挿絵からご覧になった方それぞれに物語を紡ぎだす楽しみもあります。いったいこの絵の向こうにどんな言葉が隠されているのか、そんなことを想像しながら見ていただくもの楽しいかと思います」。
展覧会にあわせて大橋関連の本を特別展示してくださる三重県立図書館の図書館利用カードには大橋のイラストを使っていただいています。人が成長する際に身近にある大切なものとして、図書館が所蔵する本とぬいぐるみを重ね合わせて選んでいただいたとのこと。県外の人もつくることができるそう。
閲覧室の案内サインの一部にも大橋のイラストが配されています。三重県立図書館は美術館から徒歩10分ほどの三重県総合文化センター内にあり、1月5日~開館。休館日などについてのお問い合わせは059−233-1180まで。ぜひお立ち寄り下さい。
長田弘作『深呼吸の必要』(晶文社 1984年)と『風のある生活』(講談社1984年)共に表紙を大橋が描かせていただいています。生田さんのお話の中に出てくる「あのときかもしれない」は『深呼吸の必要』に出てくることばです。
長田弘作 大橋歩絵『ねこのき』。長田さんと大橋のトークショーは1月11日14時から美術館講堂で開催致します。当日11時よりインフォメーションカウンターで整理券を発売します(座席数150)。
長田弘さんのトークショー
—これまでの大橋の展覧会のときは『旅する本屋・カウブックス』の移動図書館が来たり、伊賀市の『ギャラリやまほん』へのバスツアーがあったり。美術館の外へつながる企画がありましたが今回はいかがですか?
「今回は挿絵がテーマなので、美術ファンだけでなく読書好きの方にもお楽しみいただけるように、と三重県内の図書館に相談して大橋さんの特集展示を組んでいただいています。現在決まっているところで20施設。県立美術館の近くにある県立図書館でも開催されます。県外からいらした方もぜひいらしていただければと思います。これは初めての試みなのでどんな効果が出てくるか、私たちも期待しているところです」。
—トークショーも開催されますね。
「はい、詩人の長田弘さんをお迎えして開催させていただくことになりました。実は長田さんの著書で大橋さんが表紙画を描いてらっしゃる『深呼吸の必要』は私の愛読書のひとつで何度も読み返し、一人でぼおっとしているときに『あのときかもしれない』とつぶやいているくらい(笑)。また今回展覧会でご覧いただける『ねこのき』は最後のページの言葉にやられて、それまでの言葉や絵がいっぺんにひっくりかえるぐらいの衝撃を受けました。ですから、今回のおふたりの対談を一番心待ちにしているのは、担当者の私かもしれません」。「最後にもうひとつ。会期中大橋さん寄贈の元永定正さんのタペストリーもご覧になれるよう2階常設展示室に展示致します。ぜひご覧ください」。
三重県立美術館の「大橋歩の想像力 Imagination from/into/beyond Words」は1月4日から開催されます。1月7日にお届け予定の特集第3話はスタート直後の会場の様子をルポします。お楽しみに!