『村上ラヂオ』の世界
第2室に並ぶのは、村上春樹さんのエッセイ『村上ラヂオ』3部作に描かせていただいた
挿絵銅版画のすべて。今回の展覧会の中軸となるコーナーです。
ギャラリーでの全作品展示は昨年もさせていただいていますが、美術館では初公開。広いスペースに一列に並ぶと想像以上にぐんとみごたえがあります。しかもこの部屋にはちょっとしたしかけがあるのです。
「村上さんの本には、井戸を掘ったりトンネルや地下にぐるぐるっと迷い込んだりする話が出てくるでしょう。銅版画をみていただきながらそういう感覚になれるといいなあと思って」と大橋。ルポ担当の私、初日に体験してみましたがけっこう味わえました。ぜひ会場でこのしかけを感じてみてください。
初日に会場でお会いした若い女性で『この銅版画がみたくて来ました』という方がいらっしゃいました。『実は大橋さんを知ったのは『村上ラヂオ』で、今日美術館に来てはじめてこんなにいろいろな仕事をしていたのを知りました』とのこと。
途中9年間の休載期間はありましたが、大橋にとって村上さんの言葉や文章から想像を広げて描き続けた『村上ラヂオ』の挿絵は、2000年〜2012年にかけて長期にわたり携わることのできた幸せな仕事でした。「それがきっかけとなって来てくださる方がいるというのもとてもよかった!」と大橋。『平凡パンチ』の大橋さん、『ピンクハウス』の大橋さん、に続く世代が静かに生まれているようです。
ことばから、ことばをこえて
最後となる第3室は、1室2室と異なり、開放的なスペースになっています。ここに展示されている主なものは、大橋自身がファッションや暮らしにまつわる文章(エッセイ)を書き、イラストとともに発表した著書の挿絵原画約30タイトルです。
年代を追ってみていくと明らかに大橋のイラストはひとつところにとどまらず、次々に変わっていくのがわかります。そのことについてたずねると大橋は「絵があまり上手ではなかったことが幸いして身軽に絵を変えて行くことができたのだと思う」と言います。
「上手ということが基準になっているとそこから横道に入ることができないなど、もうひとつ違ううまさに移行するのはすごくたいへんだと思うんです。でも私の場合はそうではなかったし、その時代にこう描いたら楽しいだろうという自分の中のニーズがあってどんどん変わって行っちゃう。それがある意味自然なことで幸せだったと思います。絵が上手じゃなかったことで苦労もありましたけれど」。
第3室にはもうひとつ見逃せないコーナーがあります。雑誌『鳩よ!』や『本とコンピュータ』などに掲載されたイラストシリーズで、実は今回の展示を企画した学芸員の生田さんの隠れイチ押しの作品群。リサイクル紙のコラージュや、鉛筆や水彩のみなれないタッチのイラストは、言葉の解釈や挿絵という枠を越え、展覧会に不思議な余韻を残します。